Not_Architect
少しだけ怖い話し
世界遺産を別にして建築物とは一体誰のモノでしょうか?
私なりの答えは『依頼して下さる顧客』のモノ、要は出資者のモノと考えております
世の中に『タケノコ』のように現れては社会にパラサイトする建築家と呼ばれる(大御所を除いては殆どが自称で・)大多数は、自身が設計した、デザインした建物を『作品』と呼び、顧客の元から勝手に離し、『自身のモノ・神格化・商品化』させようとします・私はそう言う現象にいつの頃からか"違和感"を感じるようになりました
『あの~?そもそも貴方(建築家自身が出資した)の建物なんでしょうか?(笑)』
真の芸術家ならば『自費製作』で創ったものに買い手がついて初めて『作品』と呼べるのではないでしょうか?他にも『パトロン』がいて自由な芸術(設計)活動を行える場合はアーティスト(建築家)になりえるかもしれないですが・・
そんな特殊なケースを除けば、世の中の殆ど大多数の建築家は『生業としての建築設計行為』以上にはなりえず、世間一般、社会では自称建築家の自己満足な作品?なんて実は求められていなくて
建築設計行為=芸術にはなりえないリアルな建築に、何だか高尚な世の中の1~2%程度(建築を学んだ者、もしくは興味が有る者の)『建築論、建築史、デザイン論・・・』それらのみを拠り所に作ってしまうと、気付けば建主の想いからも離れ、リアルからも離れていき、建築主、社会にとってはただの迷惑行為になってしまいます
世の中は広いです^^アニメ、音楽、娯楽、活字、文学、語学、政治、経済、融資、歴史、カルチャー、地域、国、何よりもリアルな生活感、普通にリアル主婦最強説も一つの事実と思います^^
他にも予算、市場、現実、法律ルール・・・そう言った世の中の様々なリアルな要素があるのに、建築家もどきの建築論に全振りし建築を作っちゃうと逆に陳腐なものにもなるのでは・・
私はむしろそう言った建築以外のリアルや制約にしか『答えも、可能性もない』と考えていて、目の前のリアルや制約から逃げず、その目を持ち設計行為を行う事が、実は新たな可能性に気付き素晴らしい建築にもなると考えています
顧客満足度は建築論以外の要素=『市場』『予算』『生活(ライフ・活動)』『法律ルール』等のリアルを決して避けて通れません、私は決してリアルから目を反らさず、目の前の顧客と向き合い、
諦めず、様々なリアル・制約の中で新たな建築の可能性を探求する建築設計事務所でありたいと考えております